Mr.OZ「I’m Still… Dreaming feat. 來々」── 夢の果てに待つものを問う、名古屋052の傑作

JAPANESE

楽曲について

「I’m Still… Dreaming」は「Original Zenius〜THE DARKSIDE」(2005年7月20日リリース)の4曲目に収録された楽曲で、Mr.OZのソロプロジェクト第2弾シングルの最終曲に位置する。フィーチャリングには名古屋BIGG MACシーンのシンガー、來々(らいらい)を迎えている。

この曲には、Mr.OZというラッパーの特性が最も鮮やかに発揮されている側面がある。それは「語り部」としての才だ。ギャングスタ・ラップの文脈でしばしば語られるMr.OZだが、「I’m Still… Dreaming」においては、ラッパーとしてではなく、むしろ作家・物語作者として立っている。一人の少年の誕生から転落までを三部構成で描き切る、圧倒的な密度のナラティブ・トラックだ。


歌詞が語る物語── 夢は、どこへ向かうのか

楽曲はMr.OZの「始める前にまず断りが1つ。今から話す物語ってやつは、現実じゃなく理(ことわり)を持つ、ただの夢の話の内の1つってやつだ」という一節で始まる。しかしこの「これは夢の話だ」という前置きこそが、聴き手をより深くリアルへと引き込む仕掛けだ。

第一バースは少年の幼少期を描く。「年の頃は10にとうに足をかけた程の、誰とでも笑い喋る少年がいた。帰るべき家と眠るべき場所はあった。だがおそらくは何も満たされちゃいなかった。母親と呼ばれる人は彼を殴り、悲しみを癒しまた布団に潜り、父親と呼ぶ人には会う事は無かったが、何人もの男が頭を撫でてくれた。ただそれだけで彼は幸せで、空っぽの家で1人夢を描いた。沢山の友達と母親の笑顔を、幼いなりに思い膨らました」。

虐待と貧困の家庭に生まれながら、それでも夢を膨らませる少年。その無邪気さと現実のコントラストが、すでに胸を締め付ける。

第二バースで少年は外へ出る。「街の奴はそんな彼を迎え入れてくれた。少しのお金には疑問なんてなかった。それでも1人よりはましだったんだ」──街のクルーへの合流が語られ、その後「今じゃあこの街の顔役」になるまでの転落が描かれる。「ありがちな話だがただ毎日をドラッグで過ごす、あの笑顔はもうぎこちなく」「幼い頃の夢がこんな形でも叶うとは──悪か無いもんさあながちな。仲間って言葉はそこで理解した」

夢を持ち続けること──それ自体は間違っていない。しかしその夢がどんな形で「叶う」のか、誰も保証はしてくれない。「仲間って言葉はそこで理解した」という一節の重さは、読む者によって全く異なる響き方をする。

「街の奴は彼を恐れ敬った。何より金が大事だってことを知った。だが女ってのだけは苦手だった。仲間の中涙流し揺れ喘ぐ姿が、ガキの記憶と重なっては消える。弱さは暴力でごまかす事が出来た。その間だけは救われたんだ」──この数行の中に、彼の人格形成の全てが詰まっている。

女性が苦手な理由は語られない。しかし母親に殴られながら育ち、何人もの見知らぬ男が父親代わりだった幼少期を知る聴き手には、それは語るまでもなく伝わる。暴力で弱さをごまかし、その間だけ救われたという告白──これほど正直に「ストリートで生きる男の孤独」を書いた日本語ラップの詞がどれほどあるだろうか。


來々── Mr.OZのソロ作品を彩ったシンガー

來々(らいらい)はBIGG MAC RECORDSを拠点に活動したシンガーで、Mr.OZの初のソロシングル「Original Zenius」のイントロから早くもその歌声が登場する。OTAIRECORDのレビューには「シンガーの來々の歌声にシャウトが乗るINTRODUCTIONから幕が開ける」と記されており、Mr.OZのソロ活動の出発点から不可欠な存在だったことが分かる。

ベストアルバム「BIGG MAC WORKS」のdisk1には「…still in drama feat. 來々」が収録されており、disk2には「Into-low feat. 來々、CHISA、G-NIWS」も含まれている。さらにPhobia of Thugとしての「Send Up Smoke feat. 來々」、CALUSARIとしての「RAINY DAY feat. 來々」と、來々はMr.OZとその周辺のほぼあらゆる名義のプロジェクトに関与している。

AKIRAのソロデビューアルバムのサポートメンバーとしても來々の名前が確認できる。そのデビューアルバムにはMR.OZ(PHOBIA OF THUG)、GANXTA CUE(PHOBIA OF THUG)、EQUAL、AK-69 a.k.a KALASSY NIKOFF、來々、SYGNAL(BALLERS)、ANTY THE 紅乃壱などが集結しており、來々がBIGG MACシーン全体の「声」として機能する存在だったことは明らかだ。

「I’m Still… Dreaming」における來々のフック「I’m still… dreaming / This is a story of dream / But the story can be happened in reality / What will it be tomorrow」は、英語で歌われることで物語に普遍性を与えている。「これは夢の話だ、でも現実に起こり得る。明日、それはどうなる?」という問いが、繰り返しのたびに重くなっていく。


シングル「Original Zenius〜THE DARKSIDE」の位置づけ

「Original Zenius〜THE DARKSIDE」は前作「Original Zenius」と対をなすコンセプトシングルで、2枚合わせて1つのストーリーを形成している。「THE DARKSIDE」というサブタイトルが示す通り、こちらは光に対する影の物語だ。INTRO-DA-ACTION、TEARFULL SMILE、G.U.N.〜GANXSTAZ UNUSEFULL NACK〜、そして「I’m Still… Dreaming」という4曲の並びは、曲が進むにつれて暗く沈んでいく構造になっており、最終曲の「I’m Still… Dreaming」はその暗さの底で「それでもまだ夢を見ている」と歌い続ける。

ベストアルバム「BIGG MAC WORKS」(2009年)のdisc2「Best feat.」にも「I’m Still Dreaming…」が収録されており、Mr.OZ自身がこの楽曲を自身のキャリアの核心に位置づけていることが改めて確認できる。


Mr.OZの語り口── 「物語る」という技法

「I’m Still… Dreaming」を際立たせているのは、何よりMr.OZの語りの密度だ。

Mr.OZの特性として、「確信犯的な日本語でのラッピング、1曲1曲への仕掛けやアイデア、多重な声の使い分け」が挙げられており、この楽曲はその特性が最も「物語」の形をとって発揮された例と言える。

主語は「彼」だ。Mr.OZ自身の話ではない──少なくとも表向きは。しかし「現実じゃなく理を持つ、ただの夢の話」という冒頭の断りは、むしろ「これはどこかで実際に起きた話だ」という示唆でもある。創作と実録のあいだに意図的に引いた境界線が、楽曲に独特の緊張感をもたらしている。

ギャングスタ・ラップの文脈では往々にして一人称の「俺」が語り手だ。しかしMr.OZはここで「彼」という三人称を選んだ。それにより、聴き手はこの物語を自分の話として、あるいは知っている誰かの話として受け取ることができる。普遍性と具体性を同時に持たせるこの語り口は、文学的な技法に近い。


まとめ

「I’m Still… Dreaming」は、名古屋052ヒップホップシーンの第一人者として常にシーンを牽引してきたMr.OZが、自身のソロ活動最初期に放ったナラティブの傑作だ。

少年が夢を抱き、街に出て、「仲間」を得て、気づけば暴力でしか自分を救えなくなっていた──その過程を一切の説教なく、ただ淡々と描く。來々の「I’m still… dreaming」というフックは慰めでも励ましでもなく、ただの問いだ。「それでも夢を見続けているのか?」「明日、それはどこへ向かうのか?」その問いへの答えを、Mr.OZは書かない。聴く者それぞれが、自分の文脈で受け取るしかない。

名古屋052の夜が育てた物語。ぜひ歌詞を追いながら、繰り返し聴いてほしい一曲だ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました