El Pinche Brujo「Esa Pinche Rila」── メキシコアンダーグラウンドの魔法使いが放つ、大麻讃歌

Mexican

「Esa Pinche Rila」というタイトルを聞いて、すぐに意味が分かる人はどれほどいるだろうか。スペイン語とメキシコスラングが混ざり合ったこのフレーズを解読するところから、この曲の世界への扉は開く。「Esa」は「あの」「その」、「Pinche」はメキシコでは強い強調語として機能する罵倒語で、英語の”fucking”に相当する。そして「Rila」。これがこの曲の核心だ。チカーノ・メキシカンのストリートスラングで、マリファナのジョイント、つまり大麻タバコを指す言葉だ。直訳すれば「あのクソうまいジョイント」とでもなろうか。タイトルだけで、この曲が何を讃えているかは明白だ。

この曲を生んだEl Pinche Brujo(エル・ピンチェ・ブルホ)は、メキシコのヒップホップシーンを語る上で絶対に外せない存在だ。本名Edgar D.r.、メキシコ第二の都市、ハリスコ州グアダラハラ出身。メキシコのヒップホップを代表する最重要アーティストの一人として、国内のみならず国境を越えて知られる存在となった。

El Pinche Brujoは1977年生まれ。幼少期は両親が離婚し、8歳のころに従兄弟のパコを通じてヒップホップと出会った。ある日、祖母の家にサウンドシステムを積んだ車でやってきた人たちの音楽を耳にしたとき、最初に聴こえてきたのがSir Mix-A-Lotの「My Posse’s On Broadway」だったという。その重低音が全身を貫き、それ以来他の音楽は耳に入らなくなった。その後、2 Live Crew、Public Enemy、A Tribe Called Quest、Cypress Hillなど様々なアーティストを聴き漁り、スケートボードに乗りながらカセットで音楽を聴く少年時代を過ごした。

夢はMCになることだったが、当時のメキシコではヒップホップへの理解がほぼ皆無で、プロデューサーを見つけることも困難だった。それでも諦めずに続け、ある時期にBALAMというプロデューサー兼MCと出会い、そのサポートを受けてEl Pinche Brujoとしての音楽キャリアが本格的にスタートした。

しかし彼の始まりは音楽ではなく、グラフィティだった。1990年代、グアダラハラの街の壁にスプレー缶でタグを描き続けていたSPARKYがEl Pinche Brujoの前身だ。毎週日曜日にグアダラハラのグラフィティ文化の集まる場所「HANSELLS」へ通い、ブレイクダンスやHouse of Painのカバーパフォーマンスに囲まれながらストリートカルチャーを身体に染み込ませた。何度も補導・逮捕されながらも、グラフィティへの情熱は尽きることがなかった。しかし、ある時期を境に壁から離れ、マイクへと向かう選択をした。それがメキシコのヒップホップシーンにとって大きな転換点となる。

2003年にEl Pinche Brujoは自身のレコードレーベル「DIVISION RECORDS」を設立。そこからメキシコのアンダーグラウンドヒップホップシーンの核として、30年以上にわたり活動を続けている。 2007年にはDJ MUSHのTHC RECORDSのもとで「Hiphopuspokus」を制作・発表。同年「GUADALAJOBRU」も録音し、その後ECKOブランドとのコラボツアーでメキシコ全土を回り、その名を全国に轟かせた。

ライブでのスタイルは独特だ。DJなし、ビールを片手に、酔っ払ったふりをしながらステージを徘徊しつつ、パンチラインをビシバシ決める。フローはB-Realに似た鼻にかかった独特の発声だが、そこに太い声のベースが加わる。この個性的なフロウこそが彼の最大の武器であり、長年にわたってファンを魅了し続けている理由の一つだ。現在、Spotifyでの月間リスナーは65万人以上を誇る。

「Esa Pinche Rila」は2025年にリリースされたシングルだ。タイトルが示す通り、マリファナを主役に据えた楽曲だが、El Pinche Brujoにとってこれは珍しいテーマではない。彼のディスコグラフィーには「SANA MARIJUANA」「Aticeze 4:20(feat. Esencia Mx)」「GRIFO Y PEDO」など、大麻や薬物文化をテーマにした楽曲が数多く存在する。彼にとってマリファナはストリートライフのリアルを語る上での一つの象徴であり、バリオの文化と切り離せない要素として描かれる。

「Rila」というスラングは、チカーノとメキシコのストリートコミュニティの間で長年使われてきた言葉だ。ジョイントを「rila」と呼ぶ文化は、カリフォルニアのチカーノコミュニティとメキシコのストリートシーンが長年にわたって共鳴し、言語と文化を交換してきた証でもある。El Pinche Brujoがグアダラハラからこの言葉を使って歌うとき、そこにはメキシコとチカーノの間にある目に見えない回廊が浮かび上がる。

彼の楽曲には一貫してバリオへの愛と忠誠が流れている。「Bien Vivido El Barrio」「Amo Mi Barrio」といった共演曲でも、コミュニティへの帰属意識を繰り返し歌う。「Esa Pinche Rila」も、その延長線上にある。ジョイントを一本回しながら仲間と集まり、バリオの日常を過ごすという情景。それは説教でも美化でもなく、ただそこにある現実の一コマとして描かれる。それこそがEl Pinche Brujoのリリックの誠実さであり、30年以上ファンに愛され続けている理由だ。

メキシコのヒップホップシーンにおいて、El Pinche Brujoの名は歴史に刻まれるべき存在として揺るぎない地位を持つ。「Esa Pinche Rila」は、そんな男が2025年にも現役で、バリオの空気を胸いっぱいに吸い込みながら放ったひとつの叫びだ。呪いをかけるように、今日もマイクを握る。「Ya estaba todo planeado(全ては最初から決まっていた)」とEl Pinche Brujoは言う。あの壁にスプレーを吹きつけていた少年が、ここまで来ることは、最初から決まっていたのかもしれない。

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