2017年8月8日にリリースされたAwich のフルアルバム「8」に収録された「WHORU? feat. ANARCHY (Prod. Chaki Zulu)」は、日本のヒップホップシーンにおいて極めて重要な意義を持つ楽曲だ。10年ぶりのフルアルバムとなった「8」の10曲目に収録されたこの楽曲は、Awichの復活とアンダーグラウンドシーンへの宣戦布告を象徴する、まさに時代を画する作品として評価されている。
楽曲制作の背景 – 10年間の空白を経ての復活宣言
「WHORU?」が制作された2017年は、Awichにとって人生の転換期だった。アメリカでの結婚、出産、そして夫との死別を経て、娘と共に沖縄に帰郷した彼女が、本格的な音楽活動を再開した記念すべき年である。
この楽曲は、単なる復帰作品ではない。それは長い沈黙を破って立ち上がった一人の女性ラッパーが、日本のヒップホップシーンに投げかけた根本的な問いかけなのだ。タイトルの「WHORU?(お前は誰だ?)」という直截的な表現には、シーンに蔓延する偽物への怒りと、真のラッパーとしてのアイデンティティーを問う強い意志が込められている。
Chaki Zuluのプロダクション – 鮮度抜群のトラップビート
楽曲のプロデュースを手がけたのは、YENTOWNレーベルの創立者でもあるChaki Zuluだ。静岡県沼津市出身の音楽プロデューサーである彼は、過去にDJとしても活動し、エレクトロ・デュオ「THE LOWBROWS」にも所属していた多才なクリエイターだ。
Chaki Zuluが手がけた「WHORU?」のトラックは、「鮮度抜群でバッキバキのトラップ・ビート」と評されている。冒頭からドーパミンの分泌が止まらなくなるような、ピリピリした空気感が楽曲全体を支配している。このプロダクションは、現代的なサウンドでありながら、アンダーグラウンドヒップホップの粗削りな魅力を見事に表現している。
彼の運営するプライベートスタジオ「Husky Studio」でミックス・マスタリングも手がけられた本作は、技術的にも非常に高い完成度を誇っている。Chaki Zuluのプロデューサーとしての手腕は、Awichの復活作において重要な役割を果たしたと言えるだろう。
ANARCHYの参加 – アンダーグラウンドの王と女王の共演
楽曲にフィーチャリングとして参加したANARCHYは、日本のヒップホップシーンにおいて特別な存在だ。本名を北岡健太といい、1981年に大阪府で生まれ、3歳で京都市伏見区向島の低所得者向け市営団地に転居した。
ANARCHYの人生は決して平坦ではなかった。治安の悪い団地での生活、両親の離婚、父子家庭での育ち、そして荒れた少年時代。少年院での経験を経て、1998年にZEEBRAの音楽番組を見たことをきっかけに本格的にラッパーを志すようになった。
2006年に発表した1stアルバム「Rob The World」は、その年を代表するラップアルバムとなり、『ミュージック・マガジン』『Riddim』誌などで年間ベストアルバムに選出された。さらに、2008年には日本人ラッパーとしては稀有な自伝「痛みの作文」を出版し、ラッパー執筆の書籍としては日本で最も売れた作品となった。
ANARCHYの特徴は、内省的な歌詞内容と対照的な、ゆったりとしたやや鈍重な話し方にある。彼の楽曲は、しばしば彼の青春時代や幼少期の放棄に関連する問題を扱っており、その生々しい表現力で多くのリスナーの心を捉えている。
楽曲の構造とメッセージ性
「WHORU?」の楽曲構造は、Awichの強烈な問いかけから始まる。冒頭の「You should go the fuck home and meditate on this shit boy / We’re living intuitively / Purely knowing it / A.W.C.」というイントロダクションは、彼女の復活への確信と、偽物への明確な拒絶を示している。
楽曲の中核となるのは、「まじでお前誰? マジでお前誰?」という執拗なまでの問いかけだ。この直接的な表現には、シーンに蔓延する表面的なラッパーたちへの批判が込められている。Awichは続けて「Give me the whole thing man, I reign on these bitches」と宣言し、自身がシーンの頂点に君臨する意志を明確にしている。
楽曲の歌詞には、Awichの人生経験が色濃く反映されている。「欲しいの全部買う、売られてない喧嘩も買う」というラインは、彼女の貪欲さと闘争心を表している。「予算管理しなくても、I bounce back like a balloon」という表現は、どんな困難からも立ち直る彼女の強靭な精神力を象徴している。
また、「腐ったシーンを解毒、選ばれし女神のゲノム」という部分では、自身がシーンの浄化者としての役割を自任していることが表現されている。これは単なる自慢ではなく、真のヒップホップ文化を守ろうとする使命感の表れなのだ。
ANARCHYのバースが示す現実
ANARCHYのバースは、Awichとはまた違った角度からシーンの現実を切り取っている。「街の喧嘩小僧、ダチは前科者、見てきた色んなもの」という導入は、彼の出身環境の厳しさを物語っている。
「物が溢れてる、影にいい物が隠れてる、どれもまがいもん」という観察は、現代消費社会への鋭い批判だ。「売れたらダサくても、いいんじゃないの?」という皮肉な問いかけは、商業主義に毒されたヒップホップシーンへの痛烈な批判となっている。
「リアルって何? まじリアルって何?」という彼の問いかけは、楽曲全体のテーマと呼応している。真正性(オーセンティシティ)の問題は、ヒップホップ文化の根幹に関わる重要な概念であり、ANARCHYはこの点を執拗に追求している。
「COOLな奴ら、1%もいないんじゃない?」という辛辣な観察は、シーンの現状に対する彼の失望を表している。しかし、この失望は諦めではなく、真のヒップホップを追求し続ける動機となっているのだ。
ミュージックビデオの視覚的表現
「WHORU?」のミュージックビデオは、spikey johnが監督を務めた作品だ。映像は楽曲の持つ緊張感と攻撃性を視覚的に表現し、AwichとANARCHYの存在感を際立たせている。
ビデオの演出は、アンダーグラウンドヒップホップの美学を現代的な映像技法で表現している。暗めの照明と都市的な背景が、楽曲の持つ重厚な雰囲気を効果的に演出している。特に、AwichとANARCHYが交互にラップする場面では、二人の異なる魅力が明確に描き分けられている。
映像を通じて表現されているのは、単なる楽曲のプロモーションではなく、日本のヒップホップシーンに対する明確なメッセージだ。彼らの真摯な表情と力強いパフォーマンスは、真正性への強い信念を視聴者に伝えている。
日本のヒップホップシーンにおける意義
「WHORU?」が持つ最も重要な意義は、日本のヒップホップシーンにおける真正性の問題を正面から取り上げたことだ。2017年当時の日本のヒップホップシーンは、商業的な成功を求めるあまり、本来のヒップホップ精神を見失っている部分があった。
Awichの「まじでお前誰?」という問いかけは、表面的なラッパーたちに対する根本的な疑問だった。本当のストリートクレディビリティがあるのか、本当の経験に基づいてラップしているのか、そして何より、ヒップホップ文化に対する真の敬意があるのか。これらの問いは、シーン全体が向き合わなければならない重要な課題だった。
また、この楽曲は女性ラッパーとしてのAwichの立場も明確にしている。「I reign on these bitches」という宣言は、男性中心のシーンにおいて、彼女が対等以上の存在であることを主張している。これは単なる挑発ではなく、実力に裏打ちされた自信の表れなのだ。
現代への影響と遺産
「WHORU?」がリリースされてから数年が経った今、この楽曲の影響は明確に見て取れる。Awichのその後の活躍は目覚ましく、日本を代表する女性ラッパーとしての地位を確立した。2022年の武道館単独公演、そして2024年のKアリーナ横浜での公演成功など、彼女の快進撃は続いている。
「WHORU?」で投げかけられた「真正性」への問いかけは、現在でも日本のヒップホップシーンにとって重要なテーマであり続けている。商業的な成功と芸術的な誠実性のバランス、ストリートカルチャーとしてのヒップホップの価値観の維持、そしてグローバル化する音楽業界における日本独自のアイデンティティの確立。これらの課題は、現在でも多くのアーティストが向き合っているものだ。
また、この楽曲は女性ラッパーの可能性を大きく広げた作品でもある。Awichの成功は、後続の女性ラッパーたちにとって重要な指標となっており、日本のヒップホップシーンの多様性拡大に貢献している。
音楽技術面での革新性
「WHORU?」は、技術的にも高い評価を受けている。Chaki Zuluのプロダクションは、当時の日本のヒップホップトラックとしては珍しく、国際基準の音質と現代的なサウンドデザインを実現している。
トラップビートの要素を取り入れながらも、日本のリスナーにとって親しみやすいメロディアスな要素も含んでいる。このバランス感覚は、Chaki Zuluの実力の高さを示すものであり、同時に日本のヒップホッププロダクションの水準向上に貢献している。
ミックスとマスタリングも非常に精密で、AwichとANARCHYそれぞれの声の特徴を最大限に活かしている。特にAwichの声の処理は、彼女のタフでフェミニンな魅力を両立させる絶妙なバランスを実現している。
結論 – 時代を画する問いかけ
「WHORU? feat. ANARCHY (Prod. Chaki Zulu)」は、日本のヒップホップ史において重要な分岐点を示す楽曲だ。Awichの復活宣言であり、シーンへの問いかけであり、そして真のヒップホップ精神の再確認でもある。
楽曲が投げかける「お前は誰だ?」という問いは、単なる挑発ではない。それは、ヒップホップというカルチャーに関わるすべての人々が自問自答すべき根本的な問いかけなのだ。自分は何者なのか、何のためにラップするのか、そしてこのカルチャーに対してどんな貢献ができるのか。
Awichが体現する「選ばれし女神のゲノム」という表現は、単なる自慢ではなく、責任感の表れでもある。真のアーティストとしての使命を自覚し、シーンの発展に寄与しようとする意志。それこそが、この楽曲が現在でも色褪せない理由なのだ。
「WHORU?」は、過去への回帰ではなく、未来への道標として機能している。真正性を失わずに進化し続ける日本のヒップホップシーンの可能性を示した、まさに時代を画する作品として、今後も長く愛され続けることだろう。
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