はじめに
2014年9月24日、MC漢のソロEP「9sari」に収録された「the first and the last diss song feat. TABOO1, PRIMAL, 少佐, DOGMA, MASTER」。この5分16秒に及ぶ楽曲は、約10年間所属したLibra Recordsの社長に対する怒りと、MSCメンバーの結束を示した、日本のヒップホップ史に残る歴史的なディス・ソングです。
Libra Recordsとの決別 – 事の発端
約10年間の関係
MC漢とMSCは、2003年からLibra Recordsに所属していました。2005年には1stソロアルバム『導〜みちしるべ〜』をLibra Recordsから発売し、同年にはMCバトルの大会「ULTIMATE MC BATTLE」(UMB)をLibra Recordsと共に立ち上げました。
UMBは日本最大級のMCバトル大会として成長し、日本のヒップホップシーンに大きな影響を与えました。MC漢は考案者として、またLibra Recordsの看板アーティストとして、約10年間レーベルに貢献してきたのです。
2014年6月4日 – DOMMUNE公開記者会見
2014年6月4日、MC漢率いる鎖グループとBLACK SWANの合同記者会見がDOMMUNEで生放送されました。この会見で、MC漢はLibra Recordsとの決別を公式に宣言し、その理由を赤裸々に語りました。
会見で明らかにされた内容は衝撃的でした:
- 数年間にわたるギャラ未払い:楽曲の印税や給与が支払われていなかった
- 暴言と暴力:Libra Records社長による執拗な暴力や恫喝があった
- UMB運営の問題:運営資金の不正流用や、スタッフへの不当な扱い
特に深刻だったのは、社長による暴力の実態でした。社員がUMBに向かう車の中で難癖をつけられ、車内で3時間立たされた上に裏拳で殴られ、血を流した状態で働かせられたという証言。UMB運営を任されていたスタッフ「ムッソ」が、運用資金をろくに払われず、抗議するとバットで頭を殴られて血を流したという証言。
UMBの司会を務めていたMASTER(今回の楽曲にもフィーチャリング参加)も、一年間司会を外された後に復帰したものの、その後一切ギャラが支払われていなかったことが明らかになりました。
2012年の独立
実は、MC漢は会見の2年前、2012年にはすでに独立を果たしていました。同年5月29日にヒップホップレーベル「9SARI GROUP(クサリグループ)」を設立し、8月8日には株式会社鎖グループを正式に設立。ミックスCD『MURDARATION』をMC漢 & DJ琥珀名義で発売しました。
鎖グループのテーマには「アーティスト主体のレーベル」という言葉が掲げられています。これは明らかに、Libra Recordsでの経験に対する憤りと、新しい音楽業界への挑戦を示すものでした。
「the first and the last diss song」の意味
タイトルに込められた決意
「最初で最後のディス・ソング」というタイトルには、深い意味が込められています。これはLibra Records社長に対する、MSCとしての最初で最後の公式なディス・ソングという宣言です。
DABOとのビーフのように何年も続く抗争ではなく、一度きりの完全な決別。これ以上この問題に時間を費やすことなく、前に進むという強い意志の表れでもあります。
MSCメンバー全員の声
この曲にフィーチャリングされているのは、TABOO1、PRIMAL、少佐、DOGMA、MASTERというMSCの中核メンバーたちです。彼ら全員がLibra Recordsで同じ苦しみを味わってきた仲間であり、この楽曲は被害者全員の声を代弁するものとなっています。
特に注目すべきは、MASTERの参加です。彼はUMBの司会として活躍しながらギャラを支払われなかった当事者の一人。その彼がこの楽曲に参加していることは、強いメッセージ性を持っています。
EP「9sari」- 独立後初のソロEP
アルバムの構成
「9sari」は2014年9月24日、会見から約3ヶ月後にリリースされました。全10曲構成で、楽曲5曲とそのインストゥルメンタル版5曲という形式です:
- oh my way feat. HI-BULLET, DARTHREIDER, D.O
- 500 horses feat. Fiend
- my money long
- the first and the last diss song feat. TABOO1, PRIMAL, 少佐, DOGMA, MASTER
- shomei(証明) 6-10. インストゥルメンタル版
5曲目「shomei(証明)」との関連性
興味深いのは、4曲目の「the first and the last diss song」の直後に、5曲目として「shomei(証明)」という楽曲が配置されていることです。
「証明」というタイトルは、ディス・ソングで告発した内容の真実性を証明する、あるいは自分たちの正当性を証明するという意味が込められているのかもしれません。この2曲の配置は、アルバムの核心部分を形成しています。
ヒップホップにおけるディス文化
正当な表現手段としてのディス
ヒップホップにおいて、ディス(diss)は重要な表現手段です。それは単なる悪口ではなく、不正や理不尽に対する抗議であり、自分の立場を明確にする行為でもあります。
MC漢は2002年のデビュー時にDABOをディスし、「日本のヒップホップのリアルとは何か?」という問題提起をしました。そして2014年、今度はLibra Records社長に対して、業界の不正を告発するディスを行ったのです。
社会的告発としての意義
この楽曲が単なる個人的な恨みを超えているのは、それが音楽業界全体の問題を浮き彫りにしているからです。アーティストの搾取、暴力的なパワーハラスメント、金銭の不正。これらは残念ながら、多くの業界で見られる問題です。
MC漢たちは、DOMUNEでの公開会見という形で、この問題をファンに直接訴えかけました。そして音楽という形でも記録に残した。それが「the first and the last diss song」です。
5分16秒という長さの意味
全員の言葉を届けるために
通常のヒップホップ楽曲が3〜4分程度であることを考えると、5分16秒は異例の長さです。しかしこの長さは必要でした。
MC漢、TABOO1、PRIMAL、少佐、DOGMA、そしてMASTERのビートボックス。6人全員が自分の言葉で、経験した苦しみと怒りを表現するためには、この長さが必要だったのです。
妥協しない姿勢
長尺の楽曲は商業的には不利になることもあります。しかしMC漢は自分のレーベルから出すことで、そうした制約から自由になりました。
伝えたいことをすべて伝える。妥協しない。それが独立したアーティストの強さであり、この楽曲はその象徴でもあります。
裁判での勝訴
2016年12月1日の判決
この楽曲がリリースされた2年後、2016年12月1日、東京地方裁判所で判決が下されました。
有限会社Libraならびに代表取締役西原慶祐に対し、元従業員3名がパワハラ、暴力、給料未払いなどで起こした損害賠償請求訴訟で、裁判所は被告に総額374万円の支払いを命じたのです。
この判決は、MC漢たちの告発が真実であったことを法的に証明するものとなりました。「the first and the last diss song」で歌われた内容は、単なる誹謗中傷ではなく、事実に基づく告発だったのです。
MSCの結束
共に戦う仲間たち
Libra Recordsでの苦しい経験は、MSCメンバーの絆をより強固なものにしました。全員が同じ苦しみを経験し、共に立ち上がり、新しいスタートを切った。
「the first and the last diss song」は、その結束の証です。一人ではなく、クルーとして戦う。それがMSCの強さであり、日本のヒップホップクルーの在り方でもあります。
BLACK SWANとの合流
2014年6月の会見では、元PヴァインのA&R佐藤将が設立したレーベル「BLACK SWAN」をDARTHREIDERが引き継ぎ、鎖グループ内のレーベルとすることも発表されました。
MSCはBLACK SWANに所属することとなり、鎖グループは単なる個人レーベルから、複数のアーティストを抱える本格的な組織へと発展していきました。
ファンの反応
衝撃と支持
DOMUNEでの告発とこの楽曲のリリースは、ファンに大きな衝撃を与えました。
「Libra Records好きだったのにショック」という声もありましたが、多くのファンは「アーティストを応援する意味でCDを買っていたのに、アーティストに金が落ちていなかったなんて裏切りだ」とMC漢たちを支持しました。
業界への影響
この告発は、日本のヒップホップシーン、ひいては音楽業界全体に波紋を広げました。アーティストの権利、レーベルとの関係、MCバトル大会の運営。様々な問題について、議論が活発化しました。
MC漢の勇気ある行動は、他のアーティストたちにも影響を与えたはずです。不正に声を上げること、自分たちの権利を守ること。それがどれほど重要かを示したのです。
2015年へ – 新たなスタート
フリースタイルダンジョンでのブレイク
「the first and the last diss song」リリースの翌年、2015年からテレビ朝日で「フリースタイルダンジョン」が放送開始されました。MC漢は初代モンスターとして出演し、全国的な知名度を獲得します。
Libra Recordsとの決別、そして独立。その苦難を経た漢が、メインストリームで活躍する姿は、多くのファンに感動を与えました。
「最初で最後」の後に続くもの
「the first and the last diss song」というタイトルは、Libra Records社長への「最後」のディスを意味していました。しかし同時に、新しい時代の「最初」でもありました。
過去と決別し、前を向いて歩き出す。MSCと鎖グループの新たな歴史は、この楽曲から始まったのです。
まとめ
「the first and the last diss song feat. TABOO1, PRIMAL, 少佐, DOGMA, MASTER」は、単なるディス・ソングを超えた、日本のヒップホップ史における重要なドキュメントです。
約10年間所属したLibra Recordsでの暴力、ギャラ未払い、不正。そうした理不尽に対して、MC漢とMSCメンバーは声を上げました。2014年6月のDOMMUNE公開会見、そしてこの楽曲。彼らは真実を世に問いました。
2016年の裁判での勝訴は、彼らの告発が正しかったことを証明しました。この楽曲で歌われた内容は、事実だったのです。
5分16秒という長尺の中で、MSCの全員が自分の言葉で怒りと決意を表明しました。TABOO1、PRIMAL、少佐、DOGMA、MASTER。彼ら全員の声が重なり合い、一つの強力なメッセージとなっています。
「最初で最後のディス・ソング」。このタイトルには、過去への決別と、未来への決意が込められています。Libra Recordsとの関係はここで終わり。しかし、MSCと鎖グループの物語は、ここから新しく始まるのです。
この楽曲は、不正に立ち向かう勇気、仲間との絆、そしてアーティストとしての誇りを体現した、歴史的な一曲として、これからも語り継がれていくでしょう。
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