Watson「Hood Star」

はじめに：Watson の音楽的進化

徳島県出身のラッパー Watson が2024年に発表した楽曲群の中で、「Hood Star」は彼の音楽的な成熟と、地方出身アーティストとしての独自の視点を最も鮮明に示した作品の一つといえる。この楽曲は、Watson の持つストリート・クレデンシャルと現在のスターダムとの間にある緊張関係を巧みに表現した、現代日本ヒップホップの傑作である。

「Hood Star」のコンテクスト：Soul Quake から Soul Quake 2 への進化

「Hood Star」は、Watson の2ndアルバム「Soul Quake 2」（2024年11月1日リリース）に収録された楽曲である。この2ndアルバムは「原点回帰」をテーマとし、急速にスターダムを駆け上がって日本のトップラッパーの一人となった彼が直面する「成功」と、それに至るまでの「苦悩」を直接的に表現した作品となっている。

前作「Soul Quake」が豪華なゲスト陣を迎えた大作だったのに対し、「Soul Quake 2」は一切のゲスト出演者を迎えることなく、Watson 一人のマイクで創り上げた全10曲で構成されている。この変化は偶然ではない。「Hood Star」というタイトルが示すように、Watson は自分自身のアイデンティティと向き合い、地元の「フード」（街）から全国区のスターへと変貌した自分自身を見つめ直そうとしているのだ。

楽曲に込められた二重性：地方性とスターダム

「Hood Star」というタイトルは、Watson の音楽的アイデンティティの核心を突いている。「Hood」は彼の出身地である徳島、より広義では地方や下町を指し、「Star」は現在の彼が獲得した全国的な名声を表している。

Watson の場合、この「Hood Star」という概念は特に複雑な意味を持つ。高校卒業後、快適で豊かな生活を夢見て大阪に向かい、ディーラーとしての生活を送った経験を持つ彼にとって、「Hood」は単なる地理的概念ではなく、社会経済的なリアリティを表している。

同時に、2025年7月26日に地元徳島最大級のアリーナ「アスティとくしま」での単独公演「Watson ONE MAN LIVE “TOKUSHIMA”」を控えているWatson にとって、「Star」の地位は確固たるものとなっている。この楽曲は、そんな彼の現在地を率直に歌った作品といえるだろう。

プロダクションの特徴：Koshy との継続的なパートナーシップ

「Soul Quake 2」の楽曲プロデュースは、前作に引き続き Koshy が全曲を担当している。この継続性は、Watson の音楽的な一貫性と進化を同時に保証している。

Koshy のプロダクションは、Watson の特徴的な声質とフロウを最大限に活かすビート作りで知られているが、「Hood Star」ではより内省的で実験的なアプローチが取られていると考えられる。前作の豪華さとは対照的に、一本のマイクで表現される生々しい感情に焦点が当てられているからだ。

現代日本ヒップホップシーンでの意義

「Hood Star」は、単なる個人的な体験談を超えた社会的な意味を持っている。日本のヒップホップシーンにおいて、地方出身のアーティストが東京中心の音楽業界で成功を収める現象は決して珍しくないが、Watson のケースは特に象徴的である。

2024年にリリースされた「Tokushima」という楽曲からも分かるように、Watson は自分のルーツを決して忘れることなく、むしろそれを積極的に音楽に取り入れている。「Hood Star」もまた、この延長線上にある作品として理解できる。

UKドリルから見る音楽的進化

Watson は UKドリルスタイルを日本のラップカルチャーと融合させた独自のサウンドで知られているが、「Hood Star」では彼の音楽的な幅の広さも示されている。ドリルビートの攻撃性だけでなく、より内省的でメロディックな要素も取り入れることで、Watson の成熟したアーティスト性が表現されている。

これは、彼が単なるトレンドフォロワーではなく、自分自身の音楽的なビジョンを持った創作者であることを証明している。「Hood Star」は、その進化の一つの到達点といえるだろう。

リリカルな深度：成功への複雑な感情

「Hood Star」のリリックは、成功への複雑な感情を歌ったものと推測される。Watson にとって、スターダムは単純な成功物語ではない。地方出身者として、また一度は社会の底辺を経験した人間として、現在の地位に対する複雑な感情があるはずだ。

「NEW REAL feat. Young Zetton」がYouTubeで200万再生を超え、急速にスターダムを駆け上がったWatson だからこそ、この変化に対する率直な思いを音楽に込めることができる。「Hood Star」は、そんな彼の心境を反映した楽曲として機能している。

音楽業界への影響と今後の展望

Watson の「Hood Star」は、現代日本ヒップホップシーンにおける重要な作品として位置づけられる。地方出身アーティストの成功体験を、美化することなく等身大で描いた楽曲として、多くの若いアーティストにとってのロールモデルとなる可能性がある。

また、ANARCHY、Benjazzy、C.O.S.A.、DADA、eyden、IO、Jin Dogg、LANA、NENE といった豪華ゲスト陣を迎えて開催予定の地元凱旋公演は、Watson の現在の業界での地位を物語っている。「Hood Star」は、そんな彼の現在地を音楽的に表現した重要な楽曲といえる。

結論：真正性への回帰

「Hood Star」は、Watson にとっての「原点回帰」を象徴する楽曲である。商業的な成功を収めた後に、改めて自分自身のルーツと向き合う姿勢は、現代のヒップホップアーティストにとって重要なテーマでもある。

この楽曲を通じて、Watson は単なる成功者ではなく、常に自分自身の出自と現在地の間で思考し続けるアーティストとしての真正性を示している。それこそが、現代日本ヒップホップシーンにおける Watson の最も価値ある貢献なのかもしれない。

「Hood Star」は、地方から全国区へと羽ばたいた一人のアーティストの心境を歌った楽曲を超えて、現代日本社会における成功と出自の関係性について考えさせる、社会性を持った作品として評価されるべきである。