2025年2月12日、沖縄が生んだ天才ラッパー唾奇が約5年ぶりとなる本格的な活動再始動を告げる新曲「南無阿弥陀仏」をリリースした。プロデュースを手掛けたのは、現在の日本ヒップホップシーンを代表するビートメイカーKM。この楽曲は、長い沈黙を破った唾奇の新章の始まりを告げる重要な作品として、ファンやシーン関係者から大きな注目を集めている。
楽曲の背景と制作秘話
唾奇は2020年にミニアルバムをリリースして以降、客演参加での楽曲リリースはあるものの、まとまった活動がなかった。しかし2025年に入り、SNSにて再始動を示唆する動画を連投し、ファンの期待を高めていた。
「南無阿弥陀仏」は、これまで酸いも甘いも経験してきた唾奇が地元を飛び出し、新たな地で前を向いてチャレンジしていく上での葛藤や想いが綴られた楽曲となっている。楽曲タイトルの「南無阿弥陀仏」は、仏教における念仏の言葉であり、阿弥陀如来への帰依を表す。この宗教的なタイトルの選択は、唾奇自身の精神的な変化や内省を象徴している。
制作面では、KMがビートを担当し、ミックス・マスタリングはBACHLOGICが手掛けた。アートワークには、ラッパーとしても知られるKohjiyaが起用されており、視覚面でも新たなチャレンジを感じさせる仕上がりとなっている。
唾奇 – 沖縄の詩人ラッパーの軌跡
壮絶な生い立ちから生まれた音楽
唾奇(つばき、本名:新城安成)は1991年8月4日、沖縄県那覇市寄宮で生まれた。幼少期の家庭環境は荒れており、母親に見捨てられ、祖母に育てられるという不遇な生活を送った。親が帰ってこない家で姉と共に空腹を抱えながら過ごし、時には万引きで食いつないだこともあったという壮絶な体験が、後の楽曲制作に大きな影響を与えている。
小学6年生の時、姉の彼氏の影響でキングギドラの「トビスギ」に衝撃を受け、ヒップホップの世界に足を踏み入れた。中学時代はダンスをしていたが、体だけでの表現に限界を感じ、言葉で表現できるラップへと転向した。
音楽キャリアの始まり
17歳からリリックを書き始め、19歳で初めてレコーディングを経験。高校時代は沖縄国際通りにある「パラバル」というバーで雇われ店長として働きながら音楽活動を続けていた。このバーこそが、後に運命的な出会いをもたらす場所となる。
2014年、卒業旅行で沖縄を訪れていたビートメイカー・Sweet Williamが偶然「パラバル」に入店し、唾奇と連絡先を交換。この出会いが、2017年のブレイクアルバム「Jasmine」につながることになる。
ブレイクと評価の確立
2017年は唾奇にとって決定的な年となった。Sweet Williamとの共作アルバム「Jasmine」がリリースされ、ヒップホップファン以外からも高い評価を受けた。同年、音楽番組流派-Rで「最もアツいラッパー」に選ばれ、知名度が爆発的に上昇した。
その後も精力的に活動を続け、HANGとの共作「glitsmotel」(2017年)、ファースト・ソロ・アルバム「道-TAO-」(2018年)を立て続けにリリース。SUMMER SONIC 2018への出演や、当日告知にも関わらず1000人以上が駆け付けた渋谷でのゲリラライブなど、数々の話題を振りまいた。
アーティストとしての特徴
唾奇の楽曲の最大の特徴は、壮絶な実体験に基づく等身大のリリックと、心地よい脱力感のある独特なフロウにある。ネガティブな内容を扱いながらも、決して後味が悪くならない絶妙なバランス感覚を持っている。
MCネーム「唾奇」の由来は、好きなアニメ「ソウルイーター」の登場人物・中務椿から。「椿だけだとギャル男っぽくなるので、少し汚い感じにした」と本人が語っている。このエピソードからも分かる通り、唾奇は大のアニメ好きとしても知られている。
KM – 現代ヒップホップシーンの革新者
プロデューサーとしての歩み
KM(ケイ・マツモリ)は、現在の日本ヒップホップシーンで最も影響力のあるプロデューサーの一人だ。もともとは10代の頃から東京の伝説的クラブ「3.2.8(サンニッパ)」でDJとして活動していた。16歳から24歳まで、ほぼ毎日一晩中そこでDJをしていた経験が、後の音楽制作に大きな影響を与えている。
20代中盤頃から本格的に音楽制作を始め、数々のRemix曲をネット上にアップすると評判になり、プロデューサー・ビートメイカーとして台頭した。ヒップホップに根ざしながらも、ロック、エレクトロニカ、エレクトロ、EDM、ダブステップ、トラップといった多彩な音楽を吸収し、DJの現場で培った折衷性を自身のビートに投影している。
手掛けた楽曲と評価
これまでにANARCHY、SALU、BAD HOP、田我流、ECD、SKY-HI、Taeyoung Boy、Gottz、Kvi Baba、YDIZZY、WILY WNKA、VIGORMANなど、数多くの楽曲やRemixワークを世に送り出している。
特に2020年頃からの(sic)boyやLEXのプロデュースで広く知られるようになり、オルタナティブな音楽性で支持を集めている。2022年にはSpace Shower Music Awards “Best Producer”を受賞するなど、その実力は業界内でも高く評価されている。
音楽性の特徴
KMの音楽性の特徴は、ヒップホップの枠にとらわれない自由度の高いアプローチにある。メロディアスな楽曲から刺激的なダンストラック、破壊的な歪みとメロウな旋律が共存した独特のバランス感覚まで、多彩な楽曲を生み出している。
エモラップ以降のオルタナティブなヒップホップの隆盛と共に、クロスオーバーな音楽性で支持を集め、2020年代のヒップホップサウンドの新しい方向性を示すトレンドセッターとして位置づけられている。
楽曲「南無阿弥陀仏」の音楽的・文学的意義
宗教的要素の導入
楽曲タイトル「南無阿弥陀仏」は、唾奇の楽曲としては珍しく宗教的な要素を前面に打ち出したものだ。この念仏の言葉は、阿弥陀如来への帰依と救済への祈りを表しており、唾奇自身の精神的な成長や内面の変化を象徴している。
これまでの唾奇の楽曲が、主に自身の過去の体験や現実的な状況を描いていたのに対し、本作では超越的な存在への祈りという新たな次元が加わっている。これは、アーティストとしての成熟を表すとともに、新たな創作の地平を開く試みとも言える。
KMのプロダクションとの融合
KMが手掛けたビートは、楽曲の宗教的なテーマを音楽的に支える重要な役割を果たしている。KMの得意とする、相反する要素を絶妙にバランスさせる手法が、唾奇の内面の葛藤と祈りの心境を音響的に表現している。
伝統的な念仏という要素と、現代的なヒップホップサウンドの融合は、まさに唾奇とKMだからこそ成し得た革新的な試みと言えるだろう。
歌詞の内容と文学性
楽曲の歌詞では、唾奇が地元を離れ新たな地で挑戦していく上での心境が綴られている。「大金稼ぐ南無阿弥陀仏」「時間が惜しい」といったフレーズからは、現実的な野心と精神的な救済への願いが混在する複雑な心境が読み取れる。
この楽曲は、単なる成功への願望を歌ったものではなく、人生の苦悩と向き合いながらも前進していこうとする意志を、宗教的な祈りの形で表現した深い文学性を持った作品となっている。
日本ヒップホップシーンにおける意義
長期休止からの復帰の意味
唾奇の約5年ぶりの本格的な活動再開は、日本ヒップホップシーンにとって大きな意味を持つ。2017年前後の「Jasmine」ブーム以降、沖縄のヒップホップシーンは Awich、CHICO CARLITO、OZworldらの活躍により全国的な注目を集めており、唾奇の復帰はこの流れをさらに加速させるものと期待される。
精神性の深化
「南無阿弥陀仏」という楽曲は、日本のヒップホップにおける精神性の表現の新たな可能性を示している。これまでのヒップホップでは、宗教的なテーマは比較的珍しく、特に仏教的な要素を取り入れた作品は稀有な存在だった。
唾奇のこの試みは、ヒップホップというアメリカ発祥の音楽形式に、日本の宗教的・文化的要素を自然に融合させる新たなアプローチとして評価できる。
今後への期待
この楽曲は、2025年8月4日にリリースされる唾奇の1stアルバム「Camellia」の収録曲でもある。同年12月には自身初となる日本武道館での単独ワンマンライブも予定されており、唾奇の新たな活動への期待は高まるばかりだ。
まとめ
唾奇「南無阿弥陀仏 Prod.KM」は、単なる復帰作品を超えて、アーティストとしての成熟と新たな表現領域への挑戦を示す重要な作品となった。壮絶な過去を乗り越えて新たな地での挑戦に向かう唾奇の心境を、宗教的な祈りの形で表現したこの楽曲は、日本のヒップホップシーンに新たな精神性の地平を開いている。
KMの革新的なプロダクションと唾奇の深化したリリシズムが融合したこの作品は、2020年代の日本ヒップホップを代表する楽曲の一つとして、長く記憶されることだろう。沖縄の詩人ラッパーが新たに紡ぎ出した祈りの歌は、多くのリスナーの心に響き続けるに違いない。
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