はじめに
宮崎県出身のラッパー・GADORO(ガドロ)が2023年1月17日に先行リリースし、同年2月22日発売のアルバム『リスタート』に収録された「ラッパーなのに」。Kiwyがサウンドプロデュースを手がけたこの楽曲は、GADOROの音楽人生において特に重要な意味を持つ作品だ。綺麗事ではない、嘘偽りない言葉で自分の弱さや矛盾を曝け出したこの曲は、不器用に生きる全ての人々の背中を力強く押してくれる応援歌となっている。
アルバム『リスタート』先行シングルとして
「ラッパーなのに」は、GADOROが自身のレーベル「Four Mud Arrows」を設立後、初のアルバム『リスタート』からの先行シングルとしてリリースされた。アルバムタイトルには「レールの外れた列車から再出発する」という意味が込められており、独立という新たな道を選んだGADOROの決意が表現されている。
そんな重要なアルバムの先行シングルに選ばれた「ラッパーなのに」は、GADOROが常に持ち続けているハングリーな気持ちを、環境が変わっていく中でも変わることのない嘘偽りない言葉で曝け出している。愚かでも、無様な生き方でも、必死に生きていることこそが生き様になる——。そんなメッセージが込められた楽曲だ。
Kiwyによるサウンドプロデュース
この楽曲のサウンドプロデュースを手がけたKiwyは、GADOROの楽曲を数多く手掛けてきたプロデューサーだ。「ラッパーなのに」では、エモーショナルでありながらも力強いビートを提供し、GADOROの生々しいリリックを際立たせている。
ビートは決して派手ではないが、GADOROの言葉一つ一つをしっかりと受け止め、聴き手の心に届けるための土台として機能している。雨音を思わせるようなサウンドの中で、GADOROは自分自身と向き合い、弱さや矛盾を吐露していく。
楽曲のテーマ:「ラッパーなのに」という矛盾
タイトルの「ラッパーなのに」という言葉には、深い意味が込められている。ラッパーは本来、強さや自信を表現するアーティストだと思われがちだ。しかしGADOROは、あえて「ラッパーなのに嘘をついて」「恥をかくことさえも恐れて」と、自分の弱さや矛盾を正直に告白する。
この曲の中でGADOROは、自分自身の暗部を次々と明らかにしていく。空気を読んで、周囲の評判を気にして、頑張ったフリをして、逃げ道を探して——。そんな不器用で、弱くて、矛盾だらけの自分。しかし、それこそが本当の自分であり、それを隠すことこそが「嘘」なのだと、GADOROは歌う。
「綺麗事に中指立てながら 綺麗事に振り回されたラッパー」というフレーズには、GADOROの葛藤が凝縮されている。強がっていても、実は弱い。反抗的でいても、実は気にしている。そんな人間らしい矛盾を、GADOROは包み隠さず表現している。
「カタツムリ」のメタファー
楽曲の中で印象的なのが、「カタツムリ」のメタファーだ。GADOROは祖母への想いを歌った曲「カタツムリ」でもこのモチーフを使っているが、「ラッパーなのに」では別の意味で登場する。
「触覚を失い殻に籠り ばあちゃんとは違うカタツムリ」というフレーズでは、弱さゆえに殻に閉じこもってしまう自分を表現している。しかし後半では「俺は気付いたんだ亀ではない もう一つ気付くウサギでもない そびえる困難も前のめり ばあちゃんと同じカタツムリ」と、前向きな意味でカタツムリを捉え直している。
速くはないかもしれない。器用ではないかもしれない。でも、前のめりに、一歩ずつ進んでいく。それがGADOROのスタイルであり、祖母から受け継いだ生き方なのだ。
雨の中で撮影されたミュージックビデオ
「ラッパーなのに」のミュージックビデオは、新進気鋭の映像作家・小林慎一朗が監督を務めた。小林監督は、かねてよりGADOROのMV制作を熱望しており、その想いが全て注ぎ込まれた映像作品となっている。
MVで最も印象的なのは、GADOROが雨の中で歌う姿だ。楽曲の中で「止まない雨はないとかではない 今降ってるこの雨が耐えられない」と歌うGADORO。「いつか雨は止む」という綺麗事ではなく、「今、この瞬間の雨が辛い」という正直な気持ちを表現している。
MVでは、その雨の中に実際に立ち、歌い続けるGADOROの姿が映し出される。「嵐が過ぎるのを待つんじゃねえ 大雨の中で踊り狂え」というメッセージの通り、雨を避けるのではなく、雨の中で踊る——。それがGADOROの生き方なのだ。
また、MVには注目の若手ダンサー・Kosukeが出演し、楽曲からインスピレーションを受けて躍動する姿を見せている。彼のダンスは、楽曲の持つエネルギーを視覚的に表現し、MVに深みを加えている。
韻への徹底的なこだわり
GADOROはインタビューで、「ラッパーなのに」について「死ぬほど踏んでて」と語っている。実際、この楽曲は韻の密度が非常に高く、GADOROの韻に対する意識の高さが表れている。
特にGADORO自身が挙げている部分は注目に値する。自然なリリックでありながら、かなりきっちりと韻を踏んでいる。これは、GADOROがアルバム『韻贅生活』から韻に対する意識を大きく変え、技術的にも進化してきた結果だ。
「ラッパーなのに」では、その技術的な進化と、GADORO本来の等身大のリリックが見事に融合している。複雑な韻を踏みながらも、言葉は自然で、聴き手の心にストレートに届く。これこそが、GADOROの最大の強みと言えるだろう。
「負けた時にこそ胸を張って」というメッセージ
この楽曲の核心部分とも言えるのが、「負けた時にこそ胸を張って」というメッセージだ。多くの楽曲が「勝つこと」「成功すること」を歌う中で、GADOROは「負けること」の価値を説いている。
誰もが失敗し、挫折し、負けることがある。しかし、それを恥じる必要はない。むしろ、負けても立ち上がり、散々な日々を生き抜いていくことこそが本当の強さなのだと、GADOROは伝えている。
「例え売人も廃人も 生きてるだけで人生の皆勤賞」というフレーズには、GADOROの人間観が表れている。どんな立場にいても、どんな状況でも、生きていることそのものに価値がある。完璧である必要はなく、ただ生き続けることが大切なのだ。
自分らしさを貫く勇気
「ラッパーだったら曝け出して 都合の良いリアルだけは歌わねえ 自分の愚かさすらも吐き出せたんなら それがリアルになるのさ」——。この部分は、GADOROの音楽に対する姿勢を端的に表している。
多くのラッパーが自分の強さや成功を誇示する中で、GADOROは自分の弱さや愚かさまで包み隠さず表現する。それこそが本当の「リアル」であり、GADOROの信じる道なのだ。
カッコ悪くても、不器用でも、自分らしさを貫く。その勇気こそが、多くのリスナーの共感を呼び、GADOROを唯一無二のアーティストにしている。
不器用な人々への応援歌
「ラッパーなのに」は、器用に生きられない人々、失敗ばかりしてしまう人々、自分に自信が持てない人々——。そんな不器用な人々への応援歌だ。
GADOROは、完璧な成功者としてではなく、同じように悩み、苦しみ、それでも前に進もうとする一人の人間として、リスナーに語りかけてくる。「ここまで来た、ここまで生きた」という言葉には、どんなに苦しくても、ここまで生き延びてきたことへの肯定がある。
「失敗は回り道さ行き止まりじゃねえ」というフレーズは、挫折を経験した全ての人に希望を与える。失敗は終わりではなく、ただ少し遠回りしているだけ。最終的には、自分の道にたどり着ける。そう信じて、「今日も前に逃げる」——前向きな逃げ方で、人生を進んでいくのだ。
おわりに
「ラッパーなのに」は、GADOROの音楽の本質を凝縮した名曲だ。Kiwyの的確なサウンドプロデュースと、小林慎一朗による印象的なミュージックビデオが、GADOROの生々しいリリックを完璧に引き立てている。
ラッパーとしての矛盾、人間としての弱さ、それでも前に進もうとする意志——。これらすべてを正直に曝け出すことで、GADOROは多くの人々の心に寄り添う楽曲を生み出した。
完璧でなくていい。強くなくてもいい。ただ、自分らしく、一歩ずつ前に進んでいけばいい。「ラッパーなのに」は、そんなシンプルだけど大切なメッセージを、力強く伝えてくれる。不器用に生きる全ての人々にとって、この曲は確かな希望の光となるだろう。

 
  
  
  
  

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