はじめに
日本のヒップホップシーンにおいて、SCARSは2006年の1stアルバム『THE ALBUM』で価値観とモラルを覆す衝撃を与えた伝説的グループです。日本で初めてハスリングラップを本格的に展開したグループとして知られ、リアルなストリートの現実を包み隠さず描くスタイルで多くのリスナーを魅了しました。
その中でも特に人気が高かったメンバー、STICKYの「終わりなき道」は、彼の音楽性を象徴する楽曲として多くのリスナーの心に深く刻まれています。この曲は単なるヒップホップトラックを超えて、人生に悩む多くの人々に勇気と希望を与え続けてきました。
STICKYというアーティスト – 孤独と向き合うラッパー
STICKYは神奈川県川崎市出身のラッパーで、A-THUG、SEEDA、BES、bay4kらと共にSCARSのメンバーとして活動しました。本名は松本恭平で、友人からは「きょうちゃん」と呼ばれていました。
一般的なラッパーのマッチョイズムやイケイケドンドンのアティチュードとは一線を画し、冷めた視点で淡々と世の中にツバを吐くように言葉をスピットするスタイルで知られていました。彼のラップは「クール」という言葉では表現しきれない、深い孤独と諦めきれない希望が共存する独特のものでした。
彼の最大の特徴は、自分の弱さや苦悩を隠さずに表現する点にありました。ストリートで生きる中で感じる不信感、孤独感、悔恨といった感情を赤裸々に描きながらも、決して諦めない前向きな姿勢を貫くリリックが、多くの人々に勇気と希望を与えました。SCARSの中でも「勘繰り合い/友達でも/気を抜けないのが川崎スタイル」というパンチラインに象徴されるように、他者に対する不信感や絶望感を正直に表現することで、逆に多くのリスナーの共感を呼んだのです。
1stソロアルバム『WHERE’S MY MONEY』 – 「金」という普遍的テーマ
「終わりなき道」は、2009年12月2日にリリースされたSTICKYの1stソロアルバム『WHERE’S MY MONEY』に収録されています。このアルバムは、SCARSのメンバーの中でも特にソロアルバムを待ち望まれていたSTICKYが満を持してリリースした作品です。
アルバム全体のコンセプトは「金」。人生のすべてに付きまとう利益と損失、リスクと成功、希望と絶望、個人と社会、信用と裏切り。これらすべてに関係する「金」という普遍的なテーマを、STICKYが赤裸々に描き出した意欲作となっています。アルバムタイトルの『WHERE’S MY MONEY』は、まさに彼のストレートな問いかけを象徴しています。
エグゼクティブプロデューサーには盟友I-DeAを迎え、大半のトラックをI-DeAが制作。漢、KENJI YAMAMOTO、林鷹、SHIBA-YANKEE、BRON-K、鬼、そしてSEEDAといった豪華なフィーチャリングアーティストが参加し、全14曲で構成されています。
制作過程では、I-DeAの的確なディレクションがSTICKYの個性を最大限に引き出しました。声の出し方、発音の仕方まで細かく指導を受け、聴き取りやすさに重点を置いたスタイルを確立。SCARSの1stアルバムの頃とは明らかに進化したラップスタイルで、彼のパーソナルな世界観を存分に表現しています。
「終わりなき道」が伝えるメッセージ – 苦悩から希望へ
「終わりなき道」はアルバムの13曲目に収録され、I-DeAが手がけたトラックに乗せて、STICKYの実体験と葛藤が詰め込まれた名曲です。この曲は、アルバム全体を通して描かれてきた苦悩や絶望の中で、一筋の光明を見出す「救い」の楽曲として位置づけられています。
楽曲の中で、STICKYは塀の中で自分の弱さと向き合った経験を語ります。「塀の中で向き合った 自分は小さくて弱かった」というリリックは、彼自身が2010年に大麻取締法違反で逮捕された経験を反映していると考えられます。しかし彼はその経験を隠すのではなく、むしろ正面から受け止め、そこから立ち上がる姿勢を示しています。
「ぽっかりと穴空いた心埋めたベテランの言葉 『葉っぱだけかお前ら?』 俺は悔しくてペンを取った」というラインでは、服役中に他の受刑者から受けた言葉がきっかけで、本格的にラップに取り組み始めた経緯が語られます。この屈辱的な体験が、彼を真剣にラップと向き合わせる転機となったのです。
「初めてのREC マイクの前 初めて聞く自分の声 初めて書いたリリックもダサくてとても人に聞かせられねぇ」という部分では、ラッパーとしてのスタート時点での不安や自信のなさが率直に表現されています。多くのラッパーが自らを誇張して語る中で、STICKYはあえて自分のダサさや弱さを隠さない。この正直さこそが、彼の最大の武器でした。
そして最も印象的なのは、「余裕ぶってても陰で努力 やりたいことあったけどとりあえずこなした目の前の仕事 日々の生活に追われ疲れた体で踏み出した一歩」というリリック。表面上は平静を装いながらも、裏では必死に努力を重ね、生活のために目の前の仕事をこなしながら、それでも夢に向かって一歩ずつ進んでいく。この現実的な苦労と、諦めない強い意志の共存が、多くのリスナーの心を掴みました。
I-DeAとの化学反応 – 才能を開花させたプロデューサー
「終わりなき道」を含むアルバム『WHERE’S MY MONEY』の成功には、エグゼクティブプロデューサーを務めたI-DeAの存在が不可欠でした。I-DeA自身もSCARSのメンバーであり、STICKYの才能を誰よりも理解していました。
I-DeAは、STICKYのソロアルバム制作を「空き地に雨の中段ボールの中から拾ってきた子犬みたいな存在だった」とユーモラスに振り返っています。一度素通りしたものの、戻ったらまだいたので「俺が助けるしかない」と感じたと語っており、二人の深い信頼関係が窺えます。
制作過程では、STICKYの声の出し方や発音を細かく指導し、「堅い」と言われていた彼のスタイルを、より聴き取りやすく、感情が伝わるものへと進化させました。SCARSの2ndアルバム制作時から、ソロアルバムに繋げるためのステップアップを意識した指導を行い、STICKYの真の才能を開花させたのです。
STICKYの遺産 – 受け継がれるラップ哲学
2021年1月13日、STICKYは40歳前後という若さでこの世を去りました。A-THUGやbay4k、SEEDAといったSCARSのメンバーがSNSで追悼のメッセージを投稿したことで訃報が明らかになり、日本のヒップホップシーン全体に大きな衝撃が走りました。
SEEDAは「シャイで男気がある 俺のHomie」と彼を称え、bay4kは2020年12月に行われたSCARSのライブを振り返り「これがあいつとの最後の夜になった。楽しく話せて心地良い夜だった」と追悼しました。川崎の後輩ラッパーFUNIは「君のお父さんは宇宙一のラッパーだったと伝えます」と、STICKYの息子へのメッセージを残しています。
しかし、STICKYが築いたラップ哲学は今も確実に息づいています。自分の心をそのまま見せるリリシズム、弱さや苦悩を躊躇わずに表現することでストリートにおける「リアル」を示すスタイルは現代のストリートラップにも受け継がれています。
おわりに – 終わることのない影響力
「終わりなき道」は、STICKYの音楽人生そのものを象徴する楽曲です。ストリートの厳しさ、人生の苦悩、そして希望。すべてを包み隠さず表現したこの曲は、時代を超えて多くの人々に勇気を与え続けています。
音楽評論家の渡辺志保は、STICKYの訃報を受けて「近々、STICKYさんにもちゃんとお話を伺える時が来ればいいなとぼんやりと思っていた」と語り、近年SCARSの作品が再発され、若い世代にも魅力が伝わって再評価される動きがあったことを惜しんでいます。
彼の音楽が残した最大の遺産は、「弱さを認めることこそが真の強さである」というメッセージかもしれません。完璧でなくても、ダサくても、それでも前に進もうとする姿勢の尊さ。自分の本音を隠さず、ありのままの感情を表現する勇気。それこそが「終わりなき道」が今も色褪せない理由なのです。
STICKYは「俺はただ金儲けがしたい」というシンプルな目的を語りながらも、それ以上のものを日本のヒップホップ史に残しました。彼が歩んだ「終わりなき道」は、今も多くの人々の心の中で続いています。
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