はじめに
日本のヒップホップ史において、2006年は特別な年として記憶されている。この年、神奈川県川崎市を拠点とする伝説的なヒップホップユニット・SCARSが放った1stアルバム『THE ALBUM』が、シーンに計り知れない衝撃を与えた。そのアルバムの幕開けを飾る楽曲こそが「INDRO」である。
SCARSとは何者なのか
グループの結成と成り立ち
SCARSは2003年頃に結成された7人のMCと2人のトラックメイカーからなる日本のヒップホップユニットです。中心メンバーは、リーダーのA-THUG、SEEDA、BES、STICKY(2021年逝去)、MANNY、林鷹(GANGSTA TAKA)、BAY4K、そしてトラックメイカーのI-DeA、SACで構成されています。
グループ名の由来は、リーダーA-THUGが映画『スカーフェイス』に影響を受けて命名したものです。日本で初めてハスリングラップを始めたグループとも言われており、その存在は日本語ラップシーンに新たな地平を切り開きました。
A-THUGのニューヨーク体験
SCARSの音楽性を理解するには、リーダーA-THUGの経歴が重要です。10代の頃よりスケボーやダンスをしていた彼は、ストリートカルチャーや周りの先輩に影響され、ニューヨークへ渡米します。
そこでプエルトリコ人の友人の家で『スカーフェイス』や『カリートの道』などを見せられ、現地でサバイブするハスラーと交流。この体験が、後のSCARSの音楽性に決定的な影響を与えることになります。帰国後、A-THUGはストリートライフに身を投じていきました。
最初は中学時代の友人たち(MANNY、SAC)と車の中で「オレら、スカーズだべ」という話になり、その場のノリのような会話でSCARSが結成されました。しかし当初は本格的な音楽活動は行っておらず、ストリートで活動するチームのようなものでした。
「INDRO」の詳細
楽曲情報
「INDRO」は2006年9月2日にリリースされたアルバム『THE ALBUM』の1曲目に収録されている楽曲です。
- 収録時間: 3分4秒
- 参加アーティスト: A-THUG、bay4k、BES、STICKY
- プロデューサー: hiko
アルバムの幕開けを飾る重要な楽曲として、SCARSのスタイルと姿勢を象徴する1曲となっています。タイトルの「INDRO」は「イントロダクション(introduction)」を意味していると考えられ、文字通りSCARSの世界への入口となる楽曲です。
アルバム『THE ALBUM』の革命的な衝撃
音楽業界からの評価
2006年9月2日、SCARSの1stアルバム『THE ALBUM』がP-VINE/FLASH SOUNDSより発売されました。トータルプロデュースはI-DeAが担当し、A&Rには当時P-VINEに在籍していた佐藤将氏が参加しています。
このアルバムは音楽雑誌「blast」(シンコー・ミュージック・エンタテインメント)の『Blast Award 2006』で2位という高評価を獲得。日本屈指のビートメイカーI-DeAらのトラックに赤裸々なリリックを乗せた、日本語ラップ史上に名を残す作品として認められました。
シーンへの影響
2006年は「SCARSの年」と呼ばれるほどの現象が起きました。どこのヒップホップ系のクラブに行っても「SCARSもどき」のクルーが大量発生し、当時ブログを精力的に更新していたSEEDAは「空前のハスラーラップブームっす」と揶揄するような内容を投稿していたほどです。
ハスリング・ラップ最高峰のアルバムとしてシーンに大きな衝撃を与え、一躍SCARSやメンバーの名前を広めた屈指の名盤として、長きに渡って入手困難な状況が続き、界隈では高値でディールされるプレミア盤となりました。
SCARSの音楽的革新性
「弱さ」を見せる革命
SCARSが日本のヒップホップシーンにもたらした最大の革新は、「弱さや繊細な内面を包み隠さず吐露した」点にあります。
これまでの日本のハードコアなアーティストは、ラップスタイルやストリートへの光の当て方こそ違えど、「俺はタフだ」という一種のマスキュリニティが土台にありました。しかしSCARSは、確かにストリートなラップとして登場しながらも、タフな様を見せつつ、同時に弱さや葛藤を隠さず表現したのです。
「リアル」の追求
SCARSの楽曲内容は、金、薬、警察、ストリートでの出来事など、彼らが日常的に体験していることがリリックになっています。メンバーの中には実際に逮捕者も出ており、彼らの日常が如何に普通とかけ離れているかを示しています。
ハスラーという立場から生まれる不安や苦悩を深く持ち、それをノンフィクショナルに本人が吐露する。このスタンスが、SCARSというグループの最大の功績でした。
圧倒的なスキル
特にBESのラップが注目され、日本語なのに英語のようなスムーズなフローと抜群のリズム感を持っていると評されました。
SEEDAとBESのスキルは誰が聴いても夢中になる高いクオリティがあり、SCARSは1つひとつの言葉が「意味」として耳に入ってくる、初めてリリックでラップを全部しっかり聴かせるグループでした。
『THE ALBUM』の収録曲構成
アルバム『THE ALBUM』は以下の13曲で構成されています:
- INDRO – アルバムの幕開けを飾る重要な楽曲
- Showtime For Life
- 1 Step, 2 Step – 多くのファンを勇気づけた代表曲
- You Already Know
- Homie Homie (Remix) [feat. SWANKY SWIPE]
- SCARS – グループ名を冠した楽曲
- Bring Da Shit
- ばっくれ
- あの街この街 (feat. 林鷹)
- Love Life
- Junk Music
- 日付変更線
- Outraw
SCARSのその後の軌跡
2ndアルバムとグループの試練
1stアルバム『THE ALBUM』を出してから2年後の2008年9月、SEEDAがブログで2ndアルバムの製作を発表します。しかしこの時、A-THUGが再び刑務所に服役しており、裁判費用を稼ぐのも製作の理由の一つでした。
2008年12月31日、2ndアルバム『NEXT EPISODE』をP-VINE/SCARS ENTERTAINMENTより発売。トータルプロデュースは前作に引き続きI-DeAが担当しました。タイトルは当初「RE-UNION」のはずでしたが、BESの不参加、A-THUGの服役、そしてSTICKYとbay4kの不和などの理由で、とても再結成とは言えないため「NEXT EPISODE」となりました。
名曲「STARSCAR」の誕生
2012年4月13日、川崎クラブチッタで久々にフルメンバーが揃って復活ライブを披露。この時、名曲「STARSCAR」を収録したシングルが会場限定で販売されました。
2016年には音楽プロデューサーYuto.comによる「STARSCAR」のRemixがYouTubeに公開され、2023年8月時点で再生回数は1196万回を記録。SCARSの影響力が世代を超えて続いていることを証明しています。
アルバムのアナログ化とリイシュー
2019年6月19日、廃盤となり長らく入手困難だったファースト・アルバム『THE ALBUM』がリイシュー。続いて7月17日にセカンド・アルバム『NEXT EPISODE』もリイシューされました。
同年11月6日には、『THE ALBUM』と『NEXT EPISODE』が完全限定プレスの2枚組仕様で初めてアナログ化。現在もライブの際にパフォームされている名曲群を収録した傑作として、改めてその価値が認められています。
文化的影響とリスペクト
次世代への影響
SCARSの影響は音楽面だけにとどまりません。2018年12月15日には、東京発祥のストリートブランド「BlackEyePatch」がSCARSを題材とした写真展を開催。撮影は現在ニューヨーク在住のフォトグラファー小浪次郎氏が担当しました。
作家の大田ステファニー歓人氏は、すばる文学賞受賞作「みどりいせき」について語る際に、SCARSからの影響を公言。「全然違う世界にいるはずなのに、1つひとつの言葉がなぜか響いた」「弱さと強さを両立してるし、人生観に大きな影響を受けました」と述べています。
川崎サウスサイドの伝説
2022年11月16日、SCARSと同じく「川崎サウスサイド」を地元とするラッパーKWSK AGGYが、DJ SPACE KIDとSCARSの「Come Back」をサンプリングした楽曲「G.O.A.T.」を発表。REMIXバージョンにはSCARSからA-THUG、bay4k、BESが参加しました。
川崎のヒップホップシーンにおいて、SCARSは絶対的な存在として後進のアーティストたちにリスペクトされ続けています。
まとめ
「INDRO」はSCARSの世界観を象徴する楽曲として、日本語ラップシーンに大きな足跡を残しました。A-THUGを中心にSEEDA、STICKY、BES、bay4kらが名を連ねる日本語ラップ・シーン最重要な伝説的グループの代表作として、今もなお多くのリスナーに支持されています。
アルバム『THE ALBUM』の1曲目として、SCARSの哲学とスタイルを凝縮した「INDRO」は、ただの楽曲ではなく、日本のヒップホップが「リアル」とは何かを問い直し、新たな表現の可能性を切り開いた歴史的な瞬間を象徴する作品と言えるでしょう。
ハスリングラップという新たなジャンルを日本に持ち込み、弱さと強さを両立させる表現スタイルを確立したSCARS。その全てが凝縮された「INDRO」は、日本のヒップホップ史において永遠に語り継がれるべき重要な楽曲なのです。
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