はじめに
日本のヒップホップシーンに彗星のように現れたWatsonが生み出した「non scale」は、彼の持つ独特なリリックセンスと現実に根ざした表現力が存分に発揮された楽曲である。タイトルが示すように「誰の尺でも測れない」自分自身の在り方を歌った本作は、Watsonというアーティストの本質を理解する上で重要な作品として位置づけられる。
アーティスト概要:Watson(ワトソン)
プロフィール
Watson(ワトソン)は2000年2月22日に徳島県小松島市で生まれた日本のラッパーである。現在24歳の彼は、研ぎ澄まされたラップスキルとストリートのユーモアを駆使して新潮流を生む存在として注目されている。
名前の由来と経歴
「Watson」の名前は16歳のとき、仕事場で考えた一発ギャグに由来するという。本名が「勇斗」で、仕事場に同じ名前の人が2人いたため、「大怪獣ワトソン」というギャグを思いついたことから「Watson」という名前になった。
18歳で大阪に移り住み、馴染みの彫り師のタトゥースタジオにレコーディングスタジオが併設されていたことをきっかけとして本格的にラップを始める。
キャリアの始まり
2021年5月1日に『Pose 1』をリリースし、同年にリリースしたEP『thin gold chain』収録の「18K」で一躍注目を浴びた。2022年3月23日にはミックステープ『FR FR』をリリースし、つやちゃんから「スキルフルで独創的でありながらも模倣を促すようなチープを感じるラップ」と高く評価された。
Watsonの特徴的なラップスタイル
技術的な特徴
Watsonの大きな特徴は、トラップ、ドリルのビートに対して、3連フロウやメロディアスなアプローチではなく、グライムやドリルの流れをくむ倍速ラップをたたみ掛けるスタイルにある。ほとばしるような言葉の流れの中で、自身と取り巻く日常のありのままを表現しながら、言葉遊びや洗練された言い回しを織り込むラップのスキルは、作品リリースや客演を重ねるごとに進化している。
リリックの特徴
Watsonのラップスタイルは、自分に忠実でいることにこだわりを持ち、リアルなリリックで表現されている。ラッパーZORNとKOHHに大きく影響を受けており、ZORNの「リリックは好きなことを書けばいい」という言葉を大事に、大きく見せない等身大の自分を表現している。
楽曲「non scale」の分析
基本情報
- 作詞: Watson
- 作曲: Hibachibeats
- 楽曲テーマ: 自己の測り方への疑問と現実的な生活描写
タイトルの意味
楽曲タイトル「non scale」は、文字通り「尺度がない」「測ることができない」という意味を持つ。これは楽曲中で繰り返される「誰の尺でも測れん俺」というフレーズと呼応しており、従来の価値観や他人の物差しでは測れない自分自身の存在価値を主張している。
表現技法の特徴
楽曲全体を通して、Watsonの特徴である言葉遊びが随所に散りばめられている。特に「巻く」という動詞を軸にした韻の展開(「巻くのはポリスとガンジャそれと元カノの髪の毛 / それから成功してリシャールミルAP利き腕に巻く時計」)は、彼の高度なライミング技術を示している。
リアリティの表現
楽曲では、過去の困窮した状況から現在の成功への変化を赤裸々に描写している。「ラップ始めたて三千円のタイプビート、値段同じくらいの巻くweed」から始まって、最終的には高級時計への言及に至るまで、経済状況の変化が時系列で表現されている。
シーンへの影響と「Watson系」の登場
新しいトレンドの創造
2022年から2023年にかけて、Watsonのフローに影響を受けた「Watson系」のラッパーが多く現れるに至った。これは、KOHH が『YELLOW T△PE』とともに現れた2012年以来、約10年ぶりにゲーム・チェンジャーとして抜本的にルールを変える力を秘めているとも評価されている。
パンチライン評価
「non scale」の中でも特に「止まらなかったお陰で止めれる様になったタクシー」というラインは、2022年のパンチライン・オブ・ザ・イヤー座談会でも言及され、「わかりやすくていい」と評価されている。これは、経済的な成功によって生活が向上した現実を端的に表現した秀逸なパンチラインとして機能している。
楽曲に込められたメッセージ
成功への複雑な感情
「こんな俺に憧れてる地元の子供がいてウケる」という部分では、自分の成功を素直に喜びながらも、どこか照れくさそうな複雑な心境を表現している。これは、Watsonが決してカッコつけることなく、ありのままの感情を歌うスタイルの典型例である。
家族への想い
「いっぱい泣かしたから大金を並べてママに言うごめん」という部分では、過去に家族に心配をかけた経験を踏まえ、成功した今だからこそ言える謝罪の気持ちが込められている。これもまた、Watsonの楽曲によく登場する身近な人物への想いの表現である。
現実と夢の間
「留置所や刑務所の中でもノートとペンがあれば夢が見れる」という締めくくりは、どんな困難な状況でも音楽への情熱を失わないという強いメッセージが込められている。これは単なる美談ではなく、実際にストリートで生きてきたWatsonだからこそ重みを持つ言葉である。
プロダクションと音響面
Hibachibeatsとのコラボレーション
楽曲のプロデュースを手がけたHibachibeatsは、Watsonの独特なフロウを最大限に活かすビートを提供している。ドリル系のビートでありながら、Watsonの倍速ラップが映える構成になっており、楽曲全体の統一感を保っている。
サウンドデザイン
現代的なトラップ・ドリルサウンドを基調としながらも、Watsonの言葉遊びやパンチラインが際立つよう計算されたプロダクションが施されている。これにより、技術的な複雑さと聴きやすさのバランスが絶妙に保たれている。
まとめ
「non scale」は、Watsonというアーティストの持つ多面性を余すことなく表現した代表的な楽曲である。従来の価値観にとらわれない自己表現、過去から現在への成長の軌跡、そして身近な人々への想いが、高度な技術と共に歌われている。
この楽曲が示すのは、単なる成功譚ではなく、一人の若者が現実と向き合いながら自分なりの価値観を確立していく過程である。「誰の尺でも測れない」という宣言は、現代の若者たちに対する強いメッセージとして機能しており、だからこそ多くのフォロワーを生み出すことになったのだろう。
Watsonが創り出した「non scale」は、日本のヒップホップシーンにおける新しい表現の可能性を示すと同時に、音楽を通じた自己実現の在り方を問い直す重要な作品として、今後も長く語り継がれていくに違いない。
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