般若とRed Eyeのコラボレーション楽曲「Once Again」は、過去の苦しみや孤独と向き合いながら、それでも前に進み続ける強さを歌った楽曲です。二人のラッパーが自身の経験を赤裸々に語り、聴く者に勇気と希望を与えてくれます。
孤独と痛みから始まった道
「自分以外は敵と思って生きてた」
この楽曲の冒頭で語られるこの一節は、多くの人が一度は経験する深い孤独感を表現しています。世界中が自分に敵対しているように感じ、誰も信じられない。そんな心理状態は、特に若い世代や困難な環境で育った人々にとって、決して珍しいものではありません。
「自由履き違えて適当こいて生きてた」という言葉も印象的です。本当の自由とは何か分からないまま、ただ無責任に生きることを自由だと勘違いしていた時期。これは、方向性を見失い、自暴自棄になっていた過去を示しています。
さらに「死にたいって気持ち誤魔化し走ってた」という生々しい告白。死への衝動を抱えながら、それでも立ち止まることなく走り続けていた。この言葉には、どんなに苦しくても生き続けようとする人間の本能的な強さが表れています。
二人のラッパーが語る原点
Red Eyeは「己と向き合う誰もいない部屋で」という孤独な環境から始まったことを明かします。誰もいない部屋で自分と向き合う時間。それは苦しくも、自分を見つめ直す貴重な機会でもありました。「確か、始まりは悔しくて流した涙」という言葉は、その孤独の中で流した涙が、すべての始まりだったことを示しています。
般若も同様に、「ガキの頃は家庭の事情で夜は1人だった」と幼少期の孤独を語ります。家庭の事情という言葉の背後には、複雑な家庭環境があったことが窺えます。しかし、「朝が来る度、俺は強い気持ちになった」という言葉には、逆境を力に変える強さが表れています。
夜の孤独を乗り越えて迎える朝。それは単なる時間の経過ではなく、新たな希望の象徴でした。この経験が、後の般若の強靭な精神力の基盤となったのでしょう。
成功への道のり
「保証も無かった明日やると決めたら二言は無しだ」
Red Eyeのこの言葉は、不確実な未来に向かって決断する勇気を表しています。保証など何もない。それでも、やると決めたら最後までやり抜く。この覚悟が、ラッパーとしての成功への第一歩でした。
「あれから何年たった?あの日の少年が武道館でワンマン」
かつて「葉っぱを売っていた」少年が、今や武道館でワンマンライブを行うまでに成長した。この劇的な変化は、努力と継続の結果です。しかし、その成功への道のりは決して平坦ではありませんでした。
成功後の複雑な心境
興味深いのは、二人とも成功を手にした今でも、複雑な感情を抱えていることです。般若は「今は家族持って家も買って引っ越しちゃった」と現在の幸せな状況を語りながらも、「幸せが怖くてたまに寂しくなった」と告白します。
この感情は、長い間苦しみの中で生きてきた人特有のものかもしれません。幸せが壊れることへの恐れ、再び過去の苦しみに戻ることへの不安。幸せであることに慣れていないがゆえの戸惑い。
Red Eyeも「幸せになると怖くなるの 昔の事思い出す今も」と、同じような感情を吐露しています。過去の痛みは「メタンフェタミン」のように頭から離れず、忘れることができない。成功しても、いや成功したからこそ、過去の記憶がより鮮明に蘇ってくるのかもしれません。
外野の声と自分の道
「外野がたがたうるせーよ 心配いらない俺なら平気」
成功すれば、必ず批判や雑音が聞こえてきます。しかし、Red Eyeは外野の声を気にしない強さを見せています。「人のせいにしてる内はBaby」という言葉は、責任を他者に転嫁している限り成長はないという真理を突いています。
般若も「SNSで見かける派手なモノや 夜の街で今日も飛び交うお金の事や」と、表面的な華やかさに惑わされない姿勢を示しています。本当に大切なものは、そんな見せかけの豊かさではないのです。
「花は枯れてからが綺麗」の意味
般若が引用する「花は枯れてからが綺麗」という言葉は、非常に示唆的です。満開の花よりも、枯れゆく花にこそ真の美しさがあるという考え方。これは、苦しみや挫折を経験した人間にこそ、本当の強さと美しさが宿るということを示唆しているのかもしれません。
継続することの重要性
「どんな1歩でも続けりゃ聞こえる音だ」
この言葉には、般若の人生哲学が凝縮されています。大きな一歩である必要はない。小さくても、確実に前に進み続けること。その積み重ねが、いつか大きな音となって響くのです。
「免許なんて持ってねえがテメーでやっちゃう人生オペ」という表現も独特です。資格や許可証がなくても、自分の人生は自分で切り開く。型にはまらない生き方の宣言です。
仲間への温かいメッセージ
「俺やRed EyeのLIVE来たら言えねえだろ?愚痴なんか 酒の一杯でも奢らせろよ 街中で次会ったら」
この部分には、成功者の上から目線ではなく、同じ苦しみを知る仲間としての温かさが感じられます。ライブに来れば愚痴なんて言えなくなる。それは、二人のパフォーマンスが持つ圧倒的なエネルギーと、前向きなメッセージの力でしょう。
そして「酒の一杯でも奢らせろよ」という気さくな誘い。これは、同じように苦しんでいる人々への励ましであり、孤独じゃないというメッセージです。
「Once Again」の真の意味
タイトルの「Once Again」には、複数の意味が込められています。失敗しても、倒れても、何度でも立ち上がるという意味。過去の自分をもう一度見つめ直すという意味。そして、新たなスタートを切るという意味。
「例え駄目だって Once again ここじゃ終わらねえ」
このサビの部分は、諦めない心の叫びです。たとえ今回がダメでも、次がある。ここで終わりじゃない。この言葉は、今まさに苦しんでいる人々への強いエールとなっています。
変わらない本質
「前を見て 耐え凌げ お前と俺 変わりゃしねえ 大差は無え」
般若のこの言葉には、深い共感と平等性が込められています。成功した今でも、苦しんでいた頃の自分を忘れていない。だからこそ、今苦しんでいる人々に対して「変わりゃしねえ」と言えるのです。
「周りの目 関係は無え 最後まで 立ってやれ」という励ましも力強い。他人の評価や視線を気にせず、自分の信じる道を最後まで歩き通す。それが、二人が実践してきた生き方です。
絶望が連れてきた今
「でも絶望が連れてきた今ココに」
この言葉こそが、この楽曲の核心かもしれません。過去の絶望、苦しみ、孤独。それらすべてが無駄ではなかった。むしろ、それらがあったからこそ、今の自分がいる。絶望は終わりではなく、新たな始まりへの扉だったのです。
まとめ:強くあれ、そして優しくあれ
「だから強くあれ 強くあれ」という繰り返されるメッセージ。これは単に強がることではありません。過去の痛みを受け入れ、それでも前を向いて生きる真の強さです。
般若とRed Eyeが「Once Again」で伝えたいのは、どんなに辛い過去があっても、どんなに今が苦しくても、人は変われるということ。そして、その苦しみは必ず力になるということです。
二人のラッパーは、自身の経験を包み隠さず語ることで、同じように苦しむ人々に寄り添っています。成功者としてではなく、今も過去の痛みと向き合いながら生きる一人の人間として。
この楽曲は、絶望の中にいる人への希望の歌であり、孤独な人への連帯の歌です。そして何より、何度倒れても立ち上がる人間の強さを讃える歌なのです。
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