こんにちは、KAZUNです。今回は横浜が誇るヒップホップレジェンドOZROSAURUSと、日本ヒップホップ界の重鎮KREVAがコラボレーションした名曲「Players’ Player」について語りたいと思います。この曲は2023年にリリースされ、長年第一線で活躍してきた二組のアーティストの矜持と覚悟が詰まった、まさに日本ヒップホップの金字塔とも呼べる一曲です。
頂点に立つ者たちの対話
「Players’ Player」というタイトルには、「プレイヤーたちの中のプレイヤー」、つまり表現者たちの中でも特に卓越した存在という意味が込められています。日本のヒップホップシーンにおいて、長年第一線で活躍し続けるOZROSAURUSとKREVA。彼らはまさにその名に相応しい「Players’ Player」と言えるでしょう。
OZROSAURUS(オジロザウルス)は1996年に横浜で結成されたヒップホップユニットで、MCのMACCHOを中心に「045スタイル」と呼ばれる横浜のヒップホップスタイルを確立してきました。一方のKREVAは、KICK THE CAN CREWのメンバーとして、そしてソロアーティストとして、日本のヒップホップシーンを牽引してきた存在です。
両者が交わす言葉は、単なる自己陶酔的な自慢話ではなく、長年第一線で活動してきた表現者だからこそ感じる「孤独」や「責任」、そして「覚悟」を描いています。それは後進のアーティストへの道標であると同時に、彼ら自身への戒めでもあるのです。
音楽的特徴:往年のスキルと現代的サウンドの融合
「Players’ Player」の魅力は、楽曲としての完成度の高さにもあります。トラックはモダンなトラップビートの要素を取り入れつつも、オールドスクールヒップホップの風格を失わない絶妙なバランス。この上にMACCHOとKREVAが織りなす高度なワードプレイとフロウが乗ることで、唯一無二の世界観を作り上げています。
MACCHOのパートでは、「045」の代名詞とも言える力強いデリバリーと深い言葉選びが光ります。その言葉一つ一つに、20年以上のキャリアが凝縮されています。彼のフロウは時に力強く、時に繊細で、まるで日本語という言語を自在に操る匠のよう。
一方のKREVAは、彼特有の流麗なフロウと緻密な韻の構成で魅了します。リリカルな表現の中に鋭い観察眼と自己分析が織り込まれ、聴く者を引き込みます。特に印象的なのは、「名前も顔も知らない」から始まるセクション。未知の聴衆に対する責任感と、表現者としての使命感が伝わってきます。
2人のフロウが交錯するところは、まるでジャズのセッションのよう。それぞれが自分のスタイルを最大限に発揮しながらも、互いを高め合う関係性が見事に表現されています。
テーマ:孤独と継続の価値
「Players’ Player」で一貫して描かれているのは、頂点に立つ者の「孤独」と「継続の価値」というテーマです。
MACCHOが語る「孤独」は、長年第一線で活動してきた者だけが感じる特別なもの。「一つじゃなく二つと無い」存在であることの責任と重圧が、彼の言葉から伝わってきます。これは単なる自己陶酔ではなく、自分の立ち位置をしっかりと認識した上での覚悟の表明なのです。
KREVAも同様に、「今日現在そこに戻れない戻らない」という言葉で、過去の栄光に安住せず常に前進する姿勢を示します。彼らにとって「Players’ Player」であることは、過去の実績ではなく、今この瞬間の表現にかかっているのです。
また、「誰かの青春ごと引き受けた」という部分には、彼らの音楽が多くのリスナーの人生の一部となっていることへの自覚と責任感が表れています。これは表現者として最も崇高な姿勢であり、彼らが真の「Players’ Player」である所以でしょう。
日本ヒップホップにおける意義
この曲が日本のヒップホップシーンにおいて特別な意味を持つのは、単に豪華なコラボレーションというだけではありません。それは、ヒップホップという文化が日本に根付いて30年以上が経過し、世代を超えて受け継がれていることの証でもあるのです。
OZROSAURUSもKREVAも、日本のヒップホップが「輸入文化」から「日本の文化」へと変貌を遂げる過程で重要な役割を果たしてきました。彼らが今なお最前線で活躍し、進化し続けているという事実は、日本のヒップホップが持続可能な文化として成熟したことを示しています。
「Players’ Player」は、そんな日本ヒップホップの歴史と現在、そして未来を一曲に凝縮したような楽曲なのです。
個人的な感想:憧れと共鳴
私がこの曲に特別な思い入れを持つのは、OZROSAURUSが横浜を代表するアーティストだからというだけではありません。それは、彼らの表現する「覚悟」や「継続の価値」に、自分自身の人生と重ね合わせるものがあるからです。
特に印象に残るのは、「時代変わるなか磨きかかる深みが増す」という部分。これは音楽に限らず、あらゆる分野で長く活動する人にとって共感できるメッセージでしょう。流行や時代が変わっても、自分自身の価値を見失わず、むしろ深めていく姿勢。
そして何より、この曲を聴くたびに感じるのは、「憧れ」という感情です。曲中でも「憧れていたPlayer Players’ Player」というフレーズが繰り返されますが、これは多くのリスナーの気持ちを代弁しているのではないでしょうか。私自身、彼らのような表現者に憧れ、その音楽に支えられてきました。
おわりに:継続する意味
「Players’ Player」が私たちに教えてくれるのは、「継続する」ということの本当の意味かもしれません。単に同じことを続けるのではなく、常に自己更新し、「最新作最高傑作」を目指し続けること。それは容易なことではありませんが、だからこそ価値があるのです。
OZROSAURUSとKREVAというふたつの偉大なアーティストが交わした対話は、日本のヒップホップの宝物となりました。彼らのような表現者がいる限り、日本のヒップホップシーンの未来は明るいと言えるでしょう。
そして、彼らの背中を追いかける次世代のMCたちが、いつか新たな「Players’ Player」として台頭してくる日を、私は楽しみに待っています。
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